言葉の背景

perman2006-05-02

差別とは何か。

以前、スポーツ紙の偉い人から「この『小生、どうしようもない競馬バカ……』という表現ですが『競馬ファン』に換えてくれませんか」と言われた。「バカ」は差別用語だと言う。

 そうだろうか。差別とは「正当な理由なく、劣ったものとして不当に扱うこと」である。

 人間は多角的にものごとを観察する。「愚かさ」で人間を判断するのも、その一つだ。第一、己のことを「バカ」と言っているんだ。良いじゃないか。

 「馬鹿」はサンスクリット語の「baka」(無知・迷妄の意味)。「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」が転じた言葉だが、その他に「鹿(しか)をさして馬となす」という故事にも関係する。「史記」(秦始皇本紀)に「秦の趙高が二世皇帝に鹿を『馬である』と言って献じた。群臣は趙高の権勢を恐れ『馬です』と答えたが『鹿です』と答えた者は暗殺された」とある。「バカ」という言葉には奥行きもある。(注・趙高は戦国時代末期からの悪賢い政治家)

 過剰な「言い換え」は文化の崩壊につながる。僕の子供のころ(1950年代)学校で雑用をする人を「小使いさん」と呼んだ。この呼び方は差別だと言われ「用務員」と言い換えられたが、その「用務員」も差別だと言うので「校務員」とか「管理作業員」と置き換える動きがある。子供の僕は一緒に遊んでくれた「小使いさん」が大好きだった。

 差別は「言葉」にあるのではなく「言葉を使う人々の心」にある。大きな声では言えないが、誰かが「人権」の仮面をかぶって、言葉の自由を奪っている。

 「バカ」という言葉が堂々と使えるようになったのは、養老孟司さんのベストセラー「バカの壁」のお陰である。以来、堂々と活字になった。「言葉の無実」が証明された気分である。

 もう一つ、使って良いものか、迷っていた言葉がある。4月スタートのフジテレビ系列の「ブスの瞳に恋してる」。気になる言葉が堂々とタイトルに入っている。(「ブスの壁」という本もあるそうだが)20%近い視聴率。この言葉も市民権?を得た。

 ただし、この言葉、トリカブトの根「付子(ぶし)」が語源だ。猛毒のアルカロイドが含まれているので、誤って口に含むと神経系の機能がまひし無表情になる。つまり無表情だから「ブス」……「言葉」には思わぬ猛毒が隠されていることもあるから、くれぐれも、ご用心あれ!(専門編集委員

毎日新聞 2006年5月2日 12時29分