2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

ダリとヴォルテール、そして笙野頼子

上野の森美術館でダリを観て来た。 彼の言葉。 「私は道化ではない。 しかし、この異様にシニカルな社会は無邪気にも、 狂気を隠すために真面目さを装っているだけの人間を見抜けないのだ。何度も繰り返すが、私は狂人ではない。 私は明晰な洞察力を持ってお…

平和とは

平和ってなんだ? 歴史作家の司馬遼太郎はこう言う。 平和とは、まことにはかない概念である。 単に戦争の対語にすぎず、“戦争のない状態”をさすだけのことで、天国や浄土のように高度な次元ではない。あくまでも人間に属する。平和を維持するためには、人脂…

本質的な自由

「小さくて一時的な安全を得るために、本質的な自由を放棄するような人々は自由も安全も得る資格がない」 (ベンジャミン・フランクリン) 今もなお、俺らが反芻せねばならないこと。

誤解について

「誤解が悪いわけではない。思想家というものは、既存の理論を誤解して、それを自分の道具に組み立ててしまうものである。そうでなければ思想家ではなく、注釈家か護教家になってしまうだろう。」 (メルロ=ポンティによるフッサールの「誤解」について、中…

謙虚とは何か

岡本太郎の言葉。 私は謙虚というものは そんな、人のまえで、 おのれを無にするとか低く見せることでは絶対にない、 むしろ自分の責任において、 おのれを主張することだと断言します。 深くうなずく。

公共性と責任倫理

金子勝と共同取材した『見たくない思想的現実を見る』の中で、大澤真幸が沖縄について書いた文章「普遍的な公共性はいかにして可能か」の中の一節。 共同体の安全な存続を保証すると主張する政治家は、本当は、「嘘つき」である。誰も、ひとつの共同体の存続…