死と病と困難を想像すること

この前読んだ文章にあった、大人の定義。
死と病と困難を想像すること。


これは、ついさっき見つけた動画なんだけど。
もしレンブラントFacebookをやってたら。
彼のTimelineはこんな感じだったでしょう。

ちょっと素敵。
Googleかと思ったら、美術館の動画なんだね。
みんな、死ぬ前にTimeline編集したりするんだろうか。


そういえば、ある人が「私の夫が、Facebookをやめました。彼はギークなので、皆驚いていました。亡くなった友人のTimelineが"R.I.P."みたいな言葉で埋まるのを見て、思うところがあったみたいです」みたいなことを書いていた。
遺されたTimeline。それはWebとFacebookのデータベース上に存在し続け、やがて誰にも更新されなくなる。


これから100年も経てば、そんなTimelineもけっこうな数になるんだろうな。
それとも、その頃にはもうFacebookなんて無くなってしまってるんだろうか。
でもやっぱりTimelineのコンテンツは次のサービスにも統合出来たりするんだろうな。
そうして、色んな人の人生の足跡が、そのほんの一部が、遺され、忘れ去られていく。


その内孫がじいちゃんのTimeline見ていろいろ学ぶ、とか。
たまにはコメント残して供養するとか。そんな風習が生まれたりして。
家のFacebook page作って、一族の歴史を記録してみたりなんかしちゃって。


お母さん「あらやだ、あなた何でこの前の写真におばあちゃんをタグづけしてるの?」
娘「え、だっておばあちゃんそこにいたよ」
お母さん「あらまあ…」
みたいなことも起こるんだろうな、やっぱり。


死と病と困難を想像すること。
そうすることで、どこかの英雄みたいに世界を変えることは出来ずとも、せめて大切な人たちにとっての温かな存在にいつかはなりたい。


俺はいろんな物を置き去りにして、たくさんの人の好意とか思いをないがしろにして、気がついたら大事なことをぽっかり忘れたまま大人になっちゃった気がするよ。
こういうのはたぶん、Timelineじゃなくて、messageで送るんだろうな。