公共性と責任倫理
金子勝と共同取材した『見たくない思想的現実を見る』の中で、大澤真幸が沖縄について書いた文章
「普遍的な公共性はいかにして可能か」
の中の一節。
共同体の安全な存続を保証すると主張する政治家は、本当は、「嘘つき」である。誰も、ひとつの共同体の存続を一人で完全に請け負うことなど、できはしないからである。だが、それは必要な嘘つきなのだ。彼の嘘を共同体のメンバーたちは真実として受け取る。その代わり、指導者の方は、「心情倫理」によってではなくて、徹底した「責任倫理」によって行動しなくてはならない。つまり、彼は、「どんな結果ではあれ、私はできる限り頑張ったのだ」と言うことはできない。逆に、彼はどんなに予想困難なものであったとしても、自身の決定の結果を――まるで彼がそうすることを初めから予期し欲していたかのように――引き受け、責任を取らなくてはならないのである。
- 作者: 金子勝,大澤真幸
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2002/04/26
- メディア: 単行本
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また思ってたことパクられた(笑)
政治家だけではなくて、どんな集団におけるリーダーにも必要なことだと思う。
それにしても、普遍的な公共性はいかにして可能なんだろう。