公共性と責任倫理

perman2006-10-22

金子勝と共同取材した『見たくない思想的現実を見る』の中で、大澤真幸が沖縄について書いた文章

「普遍的な公共性はいかにして可能か」

の中の一節。

共同体の安全な存続を保証すると主張する政治家は、本当は、「嘘つき」である。誰も、ひとつの共同体の存続を一人で完全に請け負うことなど、できはしないからである。だが、それは必要な嘘つきなのだ。彼の嘘を共同体のメンバーたちは真実として受け取る。その代わり、指導者の方は、「心情倫理」によってではなくて、徹底した「責任倫理」によって行動しなくてはならない。つまり、彼は、「どんな結果ではあれ、私はできる限り頑張ったのだ」と言うことはできない。逆に、彼はどんなに予想困難なものであったとしても、自身の決定の結果を――まるで彼がそうすることを初めから予期し欲していたかのように――引き受け、責任を取らなくてはならないのである。


見たくない思想的現実を見る―共同取材

見たくない思想的現実を見る―共同取材


また思ってたことパクられた(笑)

政治家だけではなくて、どんな集団におけるリーダーにも必要なことだと思う。

それにしても、普遍的な公共性はいかにして可能なんだろう。