縄文人の憂鬱
前に創造性とはてなを探すことの関係について書いたけど、今日はその続き。
新聞を読んでいたら、哲学者の梅原猛が面白いことを言っていた。
狩猟採集を主とした縄文人が独創性に富んでいたのに対し、弥生時代に稲作が始まると、同じ品質のものを大量に生み出すようになり、弥生人はついに強い個性を持つことがありませんでした
鬱蒼とした秩序無きジャングルではてなを探し狩りをしていたこどもが、整えられた小学校という田畑で揃えられた品質の答えを探すようになったのと、似てる。
そんなことを考えてたらあるエピソードを思い出した。
少年ゆうたの(正確にはそのオヤジの)はじめての挫折の話。
ゆうたは、小さな天才登山家だった。
金時山を軽々と登り、三才で大山を踏破。山登りが大好きなオヤジは「将来は登山家だな」と思ってた。
ところが、ある時を境にゆうたの驚異的な体力が急激に衰える。
それは、幼稚園入園。今までどこまでも拡がってる街や公園や林やで駆け回っていたのに、
突然柵で囲まれた小さなスペースに閉じ込められてしまった。それ以来、山に行くと、帰りには寝ちゃう。
さすがのオヤジも連れてくのをやめた。
その反動でゆうたは有り余るエネルギーをいろんなところに発散するんだけど、
それはまた別の話。
それで、こういうことばっかりやってると都市が、地域社会が活性化しませんよっていう研究をしている人がいる。
- 作者: リチャード・フロリダ,井口典夫
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いろんな産業の立地行動を分析してみたら、ハイテク産業は創造的な人材を求めて立地していました。
地域再生の鍵は工場を必死に誘致することではなくて、いかにしてそういうクリエイティブな人を集められるかにかかってます。
そういう創造的な人材は、強すぎる地域内の繋がりよりも、いろんなヤツがいていいんだよってな寛容な土地を好む。
だから、ソーシャル・キャピタルじゃなくて、クリエイティブ・キャピタルを重視しよう。
そういうことを言っているのが、フロリダ氏。
日本だと伊豆さんとか熱海さんとか、あるいは宮崎さんとかそういう感じかな。