どこにも行かないし、誰をも抜かないし、誰にも抜かれない

宮澤賢治の詩を読んでいたら、村上春樹が面白いことを書いていたことを思い出した。
「はじめに・回転木馬のデットヒート」に出てくる文章だ。

他人の話を聞けば聞くほど、そしてその話をとおして人々の人生をかいま見れば見るほど、我我はある種の無力感に捉われていくことになる。
おりとはその無力感のことである。
我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。
我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。
それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。
それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。
どこにも行かないし、降りることも乗り換かえることもできない。
誰をも抜かないし、誰にも抜かれない

ぜんぜん違うトーンで、
ふたりは似たようなことを言うのだ