善良で残虐な僕ら

前に立教で『A』を見たのを思い出した。
森さん本人に会ったのもそのときだったかな


「中国人を同じ人間だとはどうしても思えなかった。何故かは分からない。でもとにかく、人間を殺しているといった感覚は全然なかった」


元日本軍兵士の、善良でのんびりとしたおじいさん達が語った言葉。『日本鬼子』というドキュメンタリーの中でインタビューに答える彼らは、僕らのじいちゃんばあちゃんと何ら変わらない、ごくごく一般の柔らかな物腰で語る老人達だ。彼らは、上官に命令されて仕方なくでも、嫌で嫌で仕方ないけれどもその感情を必死に封印してでもなく、当たり前のように暴行し、レイプし、殺した。


森達也はこう言う。

優しく穏かな僕たちが、そんな残虐さを何の躊躇いもなく発露することがあることを、僕らは自分たちを主語として考えねばならない。


彼は、共同体に潜む思考停止と暴力性について警鐘を鳴らし続けている。相も変わらず、飽きもせずに。人々は、共同体に属することによって多大な恩恵を受けてきたとともに、大きな危険を常に自らの内に孕んでいる。


あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者もみんな昔子供だってね。
でもそれって忘れがちで、つい「自分とちょっと違う」人たちを見ると彼らへの想像力を失ってしまう。*1森達也はよくこう言う。イラクバース党員だって、アルカイダのテロリストだって、北朝鮮特殊工作員だって、みんな家族に穏かな笑顔を見せたり、友だちと冗談を言って笑いあったり、恋人とケンカして別れちゃって泣いちゃったりもするのだ。でもそのことを忘れ、共同体として思考を停止し、憎悪に身を燃やし、解決策を探ることなく終わりなき暴力の連鎖に陥っていく、と。


殺人鬼も聖者も凡人も、共存していくしかないんですね。
そのために、ちょっと想いを馳せる。その営みを決して怠らないこと。