It’s something unpredictable, but in the end it’s right.

国連本部の少し北、マンハッタンの片隅にひっそりと建つ煉瓦作りのビル。
1階にはいつも、ドアマンのじいさんがいる。気難しいじいさん、気さくなじいさん、丁寧なじいさん。3人が代り代わり門番をしてる。
たいてい、鍵は鍵穴にうまくフィットせずに苦労する。エレベーターは、趣き深い旧式だ。


この辺りにしては驚くほど静かな一角だ。決して豪華でも広くもないけれど、居心地は悪くない。


ほんの少し歩くと、アイリッシュ・パブが立ち並ぶ通りに出る。
もともとアイルランド系が多い地域なのか、St.Patrick Dayではマンハッタン中で一番盛り上がっていた。街が緑に染まっていた。


久しぶりの静かな夜に、OasisGreen Dayを聞きながら、近所のスーパーで買ったSierra Nevada Pale Aleを飲み干す。これが、なかなかに苦い。


中三のとき、ホストシスターのマーサにGreen DayのBasket Caseを聴かせてもらって、一気に好きになったことを思い出す。
この季節、セントジョンズベリーはまだ寒いだろうか。今でも、ヌーが道を横切るのかな。


一緒に辞書を見てたときに、"adopted"の項目を指差してさらりと「あ、私これだよ」って言われて驚いたな。
小学生かと思うくらい背の小さな女の子が、車を運転するのにもびっくりしたけど。


牛乳屋を営んでるお父さんのヘンリーは、昼前には仕事が終わる。牧場にも連れて行ってもらった。
僕は今でも、ホームステイを受け入れて、暖かく迎える家族は世界平和に貢献してると思う。
米沢のじいちゃんばあちゃんは、俺が連絡を取らなくなった後もずっと、ヘンリーさん夫妻と文通を続けてた。


その後、一緒に渡米した友だちの間ではOffspringとかblink182なんかが大流行り。
何人も、いきなりバンド始めちゃったりしてた。後夜祭のライブは、盛り上がったなあ。


しばらくぶりに気分がいいけど、明日も全速力で走り抜けなきゃならないし、そろそろ寝ることにしよう。
"I gotta start my revolution from my bed"だぜ。