ぱおーん


屋外プールが心地好い。今日は恵みの雨が降った。
ブリスベンでは、シャワーは4分までと決まっています。

勘違いしているひとが多いが、「現代人は情感が乏しいので、情感を表す語彙が貧困になった」のではない。「情感を表す語彙が乏しくなったので、情感が乏しくなった」のである。(内田樹

あ、ここにもウィトゲンシュタイン大先生とオーウェルの仲間が。


情感を表す語彙が乏しくなった一方で、表現方法は拡がった。*1
誰かが「民主化」っていう言葉を使っていたけど、
誰でも簡単に動画が撮れちゃって、編集まで出来ちゃう。
音楽も作れちゃうし、アニメも作れちゃう。


ちゃうちゃう。
結果として、何かが豊かになるのかな。*2


それにしても、斯様な日はアイスクリンでもホオバッテ寝転がっていたくなりますな。
ということでトアル象と犬のお話でした。

*1:こういう話を聞くたびに思うんだけど、情感を表す豊富な語彙を持っていたのは、一部のお金持ちとか華族とか知識人とかだけだったんじゃないかなあ。確かに江戸時代に干物屋のお千代さんが鮮やかな言葉捌きで隣の五右衛門の行く末について案じてるなんていう風景は脳裏に浮かぶんだけどさ。(そういえば、士農工商で商人がいちばん下に来てるのは、彼らが豊かだったから農民の不満を云々なんて話もあるな)国民皆に分け隔てなく伝わることを目指したら、初期段階に語彙はそれなりに乏しく(シンプルに)ならざるを得ないような気もして。

*2:ふと、エントロピーの話が頭をヨギル。
「世界は拡散し、ウスマッテ、無秩序へと向かう」とか何とか