N国への援助

JICAのメルマガに、面白い記事が載っていた。

H国はアジアの小国である。

国土面積が約8万平方キロ、人口は560万人である。うち約190万人は首都S市に集中している。世界で、国土面積と人口規模の両方がこのH国と同じくらいというと、例えば、ヨルダン・トーゴクロアチアアイルランドなどの国々である。

第二次大戦後から、“旧宗主国”のN国による指導のもと、累次に渡る“国家開発計画”を策定するとともに、その実施についてもN国からの莫大な額の“ODA”に依存してきた。その規模は円換算で一時は1兆円にも達したが、近年はN国の財政状況も反映し減少の一途をたどっている。とはいえ、N国は2008年度もH国一国向けだけで6100億円のODA予算を組んだ(なお、H国もN国も会計年度はわが国と同じ)。

例えば、わが国の今年度ODA一般会計予算総額は約7000億円だが、これが全部、ヨルダンやトーゴのような人口500万の小国ひとつに集中しているという事態を想像すれば、N国のH国に対するコミットメントが並々ならぬものであることが伺えるだろう。

国家計画「H国総合開発計画」を読むと、「自立的安定経済の実現」とか「持続可能な地域社会の形成」といった文言が並んでおり、N国によるH国支援のコンセプトも、わが国のODA政策に共通するものが多いことが理解できる。

しかし、N国がこれほどの支援を数十年間以上も継続してきたにもかかわらず、H国の経済は依然低迷したままである。むしろ悪化しているというのが現実だろう。首都中心部はともかく、一端地方に入ると、“ODA”案件と思われるやたら幅広の道路や砂防ダムが目に付く。その割りには村々には活気がなく、職を求めて国を捨て、N国に移住してしまう若者も多いのである。

N国が実際のところドラフトしているH国の国家計画には「自主性を促す」という言葉が頻出する。N国にも“援助疲れ”が出ているらしい。しかし、N国が支援額を10パーセント削減すると、H国では2万人が職を失うと言われ、なかなか手を引けないまま、それでいて明るい展望も開けない状態が続いているのである。

「北海道開発予算とODA一般会計予算は、ピーク時も減少時もほぼ同額で推移している」とのことだ。
上の文章を読むと、"援助漬け"とか"魚を分け与えるよりも、釣りの仕方を"とかいう開発分野で良く耳にする言葉が浮かぶ。


記事の著者は北海道はDependency Theoryの典型的なケースだとも思える、と言っている。
じゃあODAみたいに「我が国の財政状況が逼迫し、失業者問題が顕在化する中で援助依存になっている国へのODAは即刻断ち切るべきであり、人間の安全保障という我が国が発信し続けてきた精神に則りつつ、NGO等を活用した多面的な支援へと舵を切るべきである」なんて言って削減できるかというと、当然そういう話でもない。


以前日本の国家財政について研究していたときに、何を国がやるべきで何を地方がやるべきかという基準で幾つかの財源(と所轄業務)を地方に移譲し、素朴なシュミレーションをしてみたことがある。
財政的には東京の"一人勝ち"で、名古屋以外は惨憺たる結果だった。
前提として道州制を置いて、ちょっと工夫すると一部見かけはマシになるけれどまあ大方は同じことだ。
だから周到に準備して用心深く制度設計をしないと「分権」という名の下に地方はより荒廃することになる。


それでも。
「援助」の質を変質させていくことは可能だし、それは回りまわって「本国」の利益として還ってくる。
開発ならば「援助」によって短期的には貧困を削減し様々な国際社会における脅威の"素"を除去すると共に、長期的には「自立」してもらい「パートナー」として「互恵的関係」を築くというのが理想的なパスだ。
もちろん国境を隔てた国と自国の一地方ではもう全く世界が異なる訳だけど、そういう場所から学べることはある。

それにしてもお腹が空いた。"First things first."何か作って食べるかな。