さすらい

ずっと長い間、こんな風に生きれたら愉快だろうな、と思ってきたことがある。


これをやりたい、と思ったら、その仕事をやりたいと思える人と共に、全力で駆け抜ける。
そして、その目的が達成されたら、きっぱりと解散する。


そういう、企みとかプロジェクトとかそんなもので彩られた人生は何て心地が好いのだろう、と。
そうやって食べていけたら、それはなんて素晴らしい人生なんだろう、と。


この前ある友人と飲んでいたら、彼もちょっと違った意味で似たようなことを考えていた。
ちょっと眠くなってきたので、ふたりの議論をとりあえず思いつくままにメモ。あとでちゃんと書き直そう。

曰く、ある目的の達成のために組織を形作った途端に、それは違った色彩を帯び始める
目的の達成にではなく、組織の拡大やその維持にエネルギーを割くことに違和感を覚えなくなる
気づいたころには、当初のささやかな夢や偉大なる野望は忘れ去られ、肥大化し自己目的化した組織だけが残る


曰く、目的完遂のためだけに存在し、目的完遂のために最適化され、目的完遂と共に消滅する組織があってもいいはずだ
それは、とある組織で余剰になっているリソースを活用し(能力あるのに、いつも暇だとぼやいてる友だちとか)誰かの助けを欲しているのにそれが手に入らない人たちを救うことの一助になるのではないだろうか
資本主義におけるマーケットの役割を、人的資本において果たすことがもしかしたら出来るのではないだろうか


曰く、それは厳密なルールやシステムではなく、緩やかなつながりのようなもので実現されるのではないか
人口が減り、高齢化し、衰退する日本に残された道は、発展するアジアと共に生きることと、その仕組みで残されたリソースを活かすことなんじゃないか
そして、今われわれがいる場所は、それを考えるのに悪くないところなんじゃないだろうか

まあ、こんな感じだ。頭が働かないせいでわけの分からない文章になった気もするけど、とりあえずそんなところだ。


その実現のために、どんなスキームが必要で、それはどんなアルゴリズムで動くのか。
それを、考えようじゃないか、と。

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以下、徒然メモ。


存続することじたいにも、価値はある。
存続する=求められている
"肥大化した"企業だって、たくさんの人を養い、いろんな夢を抱えている。
それを忘れないように。


いつまでも拡大し続けなきゃ負けちゃう、って概念はいつか破綻する。
そしてそれは資本主義の真ん中にかなり近いところに居座っている怪物だ。


例えば、1000年続く老舗はどうだ?
利益を追うのではなく、顧客の幸せや自らのこだわりに存在を賭ける。
間逆の組織だからこそ、何か共通点が隠されているのでは?


前に、会社は、真ん中に資本がある。NPOは、想いや志が真ん中にある。
そんなことを書いたことがあった。何かヒントにならないかな?


ゆるさ、大雑把、以心伝心、雰囲気、アメーバのように...?


たとえば、糸井重里とか椎名誠みたいに。


音楽とか文学、アート、デザイン、建築なんかは、こういうコンセプトと親和性が高い気がする。
「作品」という目に見えるゴールがあるからかな?研究もそうだ。