頬を刺す夜の国道293号。喜連川を驚かしたる余寒あり。

内田樹がこんなことを言っていた。

人間は病んでいるとき時、衰弱しているとき、元気がないとき、負けが込んでいるとき、長期の敗退局面などにおいて、その本性を露呈するというのは長く生きていて学んだたいせつな経験則の一つである。
ツキのあるとき、勢いに乗じて勝つことは少しもむずかしいことではない。
ツキのないとき、さっぱり芽が出ないときに、それでもまわりを愉快にすることができる人間は本物である

衰弱しているとき、元気がないとき。
そんな時にでも、誰かが気持よく笑っちゃうような。


病んでいることを隠すわけではなく、でもそれを押し出すわけでもない。
辛いのだろうけれども、どこか呑気で、ご機嫌で、愉快な響きがある。


それは涼しい諦めによるのかも知れないし、それでも視界の際に揺れる灯りが故かも知れない。
うーん、まあ、樹さんはそんな暗いはなしをしたかったわけではなく、気持ちのいい負けっぷりの素晴らしさを説いていたんだけど。



そういえば、この前こんな臨終の遺言が糸井重里の「今日のダーリン」に出ていた。

長い闇の向こうに何か希望が見えます。
  そこには寛容の世界が広がっています。予言です。

死の床でとある免疫学者はそう搾り出したんだって。
そこには寛容の世界が広がっています。


彼の死に立ち会った人たちは、何を感じたんだろう。


頬を刺す夜の国道293号。喜連川を驚かしたる余寒あり。