カセット・テープによる追想、存在するとは別のしかたで、時の洗礼

リビングのソファに座って、かなり昔に作ったYouTubeのプレイリストに耳を傾けている。
Special Thanksの"You say GOOD BYE"、ストレイテナーの"ROCKSTEADY"に続いて、今はOasisの"Whatever"が流れてる。
何だか昔作ったカセット・テープを久しぶりに再生しているみたいな感じだ。


"Whatever"のプロモーションムービーが好きだ。
特にいいのが、Oasisのメンバーの間をふらふらほっつき歩きながらバイオリンを楽しそうに弾いているおっさん。
ああ、なんて楽しそうなんだろうってかつて思ったし、今でも変わらず思う。


そのテープに音楽が吹きこまれたときの、空気の匂い。風の色。夜の気配。心の動き。


携帯電話の待ち受け画面には、"85 days have passed"と表示されてる。
あの地震から85日が経った。
2011年6月1日現在で、1万5,310人の死亡が確認されている。行方不明の8,404人はまだ見つかっていない。
ケータイを開くたびに、「お前さあ、せめて忘れるなよな。一日に一度でもいい。それが起こったことを、起こってしまったことを、思い出すだけでいいよ。そんで、何かをなすべき時に、なすべきことをなせばいいよ。」って語りかけてくる。


ちょっとだけ立ち止まって、耳を澄まそう。いない人に思いを馳せ、その存在を感じて、聞こえない声を聴こう。


Fuji Rock Festival 2000の時の、ミッシェルの"ジプシーサンデー"が始まった。
この映像を聴いたとき、イントロで鳥肌が立ったなあ。改めて見ても、本当にかっこいい。
この4人のライブを聴くことは、もう永遠にないんだよな。


前回日記を書いたのが、2011年の3月3日。
俺が代わり映えなく冴えない三ヶ月間を送っている間も、地球は相変わらずぐるぐる回ったし、容赦なく時計はコチコチと時を刻んだ。
たぶんどこかでねじまき鳥がぎいいいいいいいと鳴いて、巻くべき分だけきっちりと、ねじを巻いたはずだ。


地震が起きて、いろいろな不可逆的な変化が起こった。
かつてのルーキー、シャキール・オニールは引退したし、僕はOne Pieceをはじめて読んだ。
ビン・ラディンが殺されて、共和党の支持者も、高齢者も、南部の住民も、「茶会」のメンバーも、福音主義者も引っ括めて、みんなオバマ支持に回った。


Secondhand Serenadeの"Fall For You"に、Britt Nicoleの"You"、Georgeの"Such a Fool"。
いつかの景色がよみがえって、また消える。


さいきんはほぼ毎晩、寝息が聞こえてくるまで何かを読み上げるのが習慣になりつつある。
今のところ、村上春樹がいちばんしっくり来る。何度か試しに買ってみた、何かの大賞を受賞して、審査委員に絶賛されて、どこかのランキングで上位に入っている本たちに裏切られた後は、安心して読めるってのは大事だなあとしみじみ思う。
次はロアルド・ダールあたりにしようかなと考えている。


時の洗礼を受けてない書物を読むのは時間の無駄だ、って誰かが言ってたっけ。


時の洗礼。


震災で取り残された遺児は1,100人を超えた。
何人かの、力を持った人々が、彼ら彼女らが自分の足で再び力強く歩き出す、その手助けをすべく動き出している。


今まで時代を前へと推し進めてきたリーダーたちは、ほとんど例外なく、皆それぞれに魂に響く経験を経た過去を持っている。


彼ら彼女らは、驚くほどたくましく、時と共にこの悲劇を乗り越えるだろう。
その過程で、立ち直ることさえ簡単でないだろうその経験を、未来への礎に変えることが出来るだろうか。


僕には何が出来るだろうか。


僕は何をすべきなんだろうか。


ふと気づくと、毛むくじゃらの小さな生き物がカツカツと爪の音を小さく鳴らして隣にやってきて、撫でろとせがむ。
彼女はすっかり僕の生活の一部として着実にその存在を確立しつつある。


いくつかを手に入れて、いくつかを失った。
たぶんこれからもそうだろう。
手に入れたものを数えてるだけじゃ前に進めないし、失ったものを嘆いてもそれらは戻ってこない。


日々精一杯生きて、そういうあからさまな事実を、ひとつひとつ確認していく。
簡単に新たな啓示は訪れないし、生きてるうちに何らかの真理に辿りつけるのかすら分からんのだからまあ仕方ない。
みんなそうやって少しずつ前に進んだり、後ろに戻ったり、道しるべを見失ったり、やっぱり行き先を変更したりしながら、生きてく。


進め、なまけものよ。


まずはストレッチをして、走りだそう。
後は走りながら考えればいい。


たしかに君はもうあの時の君じゃない。
あの輝きはもう放てないかも知れない。
でも、あの時は分からなかった誰かの逡巡や悲しみが、痛いほど分かるようにもなった。
それでいいじゃないか。


いつまで立ち竦んで、うだうだと下らないことを考えてるんだ。


傷を抱えて、大切なものを失って、それでも笑おうじゃないか。
歩みを運ぼうじゃないか。あの高みから見える景色を、あの谷でしか味わえない空気を求めて行こうじゃないか。
どこかで君を待つ新たな出会いに、ワクワクするストーリーに、拳を握る変化に。それらを迎えに行こうじゃないか。


なあ。そうは思わないか?